訪問地一覧
地域
訪問時期
ポーランド
クラクフ、ザコパネ、アウシュビッツ

2000年9月

 

 

この写真は、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツが作った強制収容所、アウシュビッツで撮ったものです。奥の壁は、「死の壁」と言われていて、銃殺用に使われていました。この壁での銃殺、後で紹介するガス室、病気、過労などで亡くなった人々は28の民族、150万人と言われています。 この収容所に入ったところに設けられた博物館では、アウシュヴィッツの記録映画が上映されて、泣き出す欧米人の姿もありました。とにかく、世界中の人々に一度は訪れてほしい場所です。写真じゃ伝わらない感情もありますので・・・。 犠牲になった人々のご瞑福をお祈りいたします。

 

 

 

 

この写真は、もう1つの強制収容所、ビルケナウで撮ったものです。奥に写っている建物は、「死の門」と言われていて、多くの収容者が死を覚悟してこの門をくぐったことと思います。

 

 

 

 

 

上段右は、収容所を囲っていた有刺鉄線で、当時は高圧電流が流れていたそうです。他の写真は、収容所内で撮ったものです。収容所内は、28棟の「囚人棟」からなり、2万8000人もの囚人が国別や民族別に分けられていたみたいです。

 

 

この写真は、ある棟の中で、犠牲者の写真で埋め尽くされていました。顔写真の下に収容者番号が記されていました(入所後、すべての収容者は、自分の番号の入れ墨を腕にいれていたようです)。

 

 

 

 

ここアウシュヴィッツには、収容者から没収した生活用品がたくさん公開されています。上段左の写真は、収容者の髪の毛(この髪の毛は、カーペットなどの織物とし て使われていたみたいです)で、右は収容者が使用していためがねです。その他にも、衣服、身の回りのものを入れてきたトランク、ブラシ、くつ、義足などが公開されていました。 下段は、下で紹介するガス室で使用されたチクロンBの空き缶です。このチクロンBから蒸発する毒ガスで何十万人の生命を奪ってしまいました・・・。

 

 

これらは、絞首刑に使用された絞首台です。左の絞首台は、ちょっとした広場の前にあって、見せしめのために殺された人もたくさんいたみたいです。

 

 

 

 

 

これらは、一度で多くの生命を奪うことができるガス室を撮ったものです。上段左はそのガス室を外から見たもので、当 時は、毎日のように煙突から煙が噴出していたそうです。上段右は、ガス室の内部で、ここに大勢の収容者を押し込み、上から毒ガスを流してたくさん の生命を奪った。その後、下段の機械で遺体を焼いたようです。私はは、1人ではこの中に入れず、誰か入った後に一緒に入りました。ほんとに、考えさせられます・・・。

 

 

これらの写真は、ビルケナウで撮ったもので、左は収容者が身を寄せ合って寝ていたベッド、右は収容者が使用していたトイレです。当時、体力のない人で、このトイレの穴に落ちて亡くなった人も多かったみたいです。

 

 

ポーランドで行われた学会、33 rd SOLID MECHANICS CONFERENCE に参加するため、ここポーランドを訪れました。写真はその学会が行われたホテルで、写真を見るといくつかの国旗が掲げられていますが、これは全参加者の国旗 です。結構大きな国際会議でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

これらはポーランドの京都と言われているクラクフで撮ったものです。ここは、さまざまなお店が建ち並ぶフロリアンス通り近くで、たまたま結婚式に出くわすこともできました。この街はポーランドで一番綺麗なところのようです。二段目左は、よく見るとマンガと書いてあります。そうです、マンガ博物館がここクラクフにありました。日本のマンガは世界でも有名なことを改めて実感しました。

 

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