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韓国

DMZ(非武装地帯)、板門店、ソウルの一部

2008年10月


これらは、韓国 DMZ(非武装地帯)、板門店、ソウルを訪れたときの写真です。


 

 
  旅行中、韓国と北朝鮮の国境付近のDMZ(demiilitarized zone )および板門店に行くツアーに参加しました。
 DMZとは両国間で非武装地帯として定義した区域で、国境からそれぞれ2km内側に入ったところまでの区域のことをいうようです。ここは100万個の地雷が埋められており、50年人が入ることがなかったので、実体としては野生生物保護区のような状態になっているようです。実際、バスでDMZを走っていると地雷注意の旗がいたるところにありました。ただし、私が訪れたDMZ区域には、自由の村と呼ばれる、唯一民間人が暮らす村がありました。ここは、食物を育てるのに最適な土壌であることから、住民のほとんどは農業を営んでいるようです。基本的には男性は昔からそこに住んでいた人以外はそこに引っ越すことはできないようです。女性に関しては、その村の男性と結婚すれば住めるようですが。村には小学校や中学校もあります。ただし、高校はないので車でDMZの外に出て近くの高校に通わないといけないようです。実際、ここの住民は1000万円くらいの年収があるようなのですが、数km先が国境であり、毎日不安がつきまとう生活を送らないといけないので、住民の方たちの本音というのは分からないですね。

  このツアーでは、国境付近の緊迫した状況を肌で感じることができ、朝鮮半島の歴史も勉強できたのでほんとに有意義な一日でした。ツアー中、望遠鏡にて北朝鮮の村をのぞく展望台があり、きっと北朝鮮側でも同じように望遠鏡で韓国をのぞける展望台があると思います。昔は仲間だった人々が望遠鏡でのぞきあっている姿を想像するとなんだか複雑な気持ちにもなりました。
写真は、このツアーのメインである板門店(会議室)の写真です。
板門店(パンムンジョム、はんもんてん)は、韓国と北朝鮮の国境に位置し、 1953 年に朝鮮戦争における北側の朝鮮人民軍と南側の「国連軍」の停戦条約が調印されたところです。唯一、北朝鮮との国境をまたげるところでもあり、一番緊張感が伝わってくるところでした。服装にも制限があり、入る前に誓約書にもサインします。また国境に行くときには、国連軍のバスに乗り換え国連軍の先導車および護衛付きで国境上にある調印された会議室に向かいます。全部で3回検問所があり、パスポートをチェックされました。そして、その会議室の前でバスから降ろされ、2列に並ばされ、入るときの注意事項を言われます。

・会議室の奥の扉を開けると亡命になるので決して扉を開けてはならない。
・会議室に入るまではきょろきょろせずまっすぐ前を向いて歩くこと。などなどたくさん

  そして、国連軍の人が前から一人ひとりチェックをしはじめて、なぜか私のところに来たらぴたっと止まりジロジロ見られたあと、なにやら通訳の人と会話し始めました。なんだ?とドキドキしていると通訳の人が私のところに寄ってきてカメラの望遠レンズを見て、「何mmですか?」と聞かれたので、「200mmのレンズです」と答えると、「決して90mm以上の望遠で撮影しないで下さい。」と注意されました。きっとズームで相手側の兵士を撮影しないでくれという意味だと思います。ここまで来てカメラ没収なんて最悪なシナリオだけは防げたのでほんとにほっとしました。 ただ、要注意人物と扱われたのかどうか分かりませんが、その後、常に見張られていたような気がします。

  写真で、青は国連を意味する色で、会議室から半分身をのりだして北朝鮮側の建物を見ている兵士が2人いますが、彼らは相手が襲ってくるのを見張っている人たちで、長い時では3時間くらい微動だにせず相手の動きを監視することができるようです。すぐ 向こうに見える白い建物は北朝鮮側のものです。

 

 

 

 

 

 

 
ここが会議室の中で、調印式が行われたところです。テーブルの真ん中にあるマイクのところが国境で、右側は北朝鮮側が座る席、左側は国連側が座る席です。ちょうど国境に立って写した写真です。

 

 

 

 

 左は会議室から外を写した写真で、この30cmのコンクリートが国境です。これは、北朝鮮側から韓国側を撮影した写真です。この会議室から離れると右の写真のような杭の位置が国境になります。 1945年に第二次世界大戦終了後、北緯 38 度線が国境の役割(北はソビエト軍、南はアメリカ軍を管轄)を果たしていましたが、それから朝鮮戦争が起こり、 1953年に板門店で停戦協定が調印されたときに今の軍事境界線が引かれたので、現在は北緯38度線が国境ではなく、実際には国境は南西から北東方面に向かってひかれています。

 

 

   

 これは、板門店から写した北朝鮮の村です。宣伝村と呼ばれていて住民はいないと噂されています。塔みたいなのがありますが、これは国旗掲揚台で世界一の高さを誇る掲揚台のようです。

 

 

 

 
これは停戦後に捕虜の交換がされた橋で、捕虜たちがこの橋の上で南北いずれかの方向を選択すると二度と帰って来ることができないことから「帰らざる橋」と呼ばれているようです。

 

 

   

 これは、ポプラ事件の舞台となったところで、当時、監視の邪魔になっていたポプラの木をアメリカ軍が切り落とす時に襲撃にあいアメリカ軍2人の死者が出ました。その事件の碑が残されていて、白い丸がそのポプラの幹の大きさを示しているようです。昔はこの区域は両軍で警備を行っていましたが、この事件をきっかけに、韓国は韓国側のみ、北朝鮮は北朝鮮側のみの警備を行うことになったようです。

 

 

 

 
これは自由の橋と呼ばれている橋、休戦協相が締結された後、戦争捕虜 13000 人がこの橋を通って帰って来る時に「自由万歳」と叫んだのでこの名前がつけられたようです。

 

   

 

 
 これは、 1978 年に発見された南侵用第3地下トンネルで、ソウルからたった 44 km、車では 1 時間足らずの所にまで延びていたようです。噂では韓国全土で計20個のトンネルがあり、未だに4箇所か見つかっていないらしいです。岩盤は石炭のように見えるところもありましたが、コークスを塗って炭鉱に見せるためのカムフラージュだとも言われています。トンネル内の撮影は禁止されているので、写真は入り口までです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
  ここはトラ展望台と呼ばれ、天気の良い日は北朝鮮の村が見れるところです。途中に黄色い線が引かれていて、そこから先での撮影はできなかったので、うまく写真は撮れませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
  ここは、トラサン ( 都羅山 ) 駅と呼ばれ、韓国で最も北に位置する駅です。南北統一になったときは、平壌、中国、ロシアまで続く電車になるようです。北京オリンピックのときは、韓国の大統領はこの電車に乗って中国に応援に行く計画があったようですが、事情により中止されたようです。ここは仁川国際空港を設計した人が設計した駅なので、普通の駅より立派でした。

 

 

   

最後に今回のツアーに同行してくれたガイドさんと記念撮影。詳しい説明ありがとうございました。

 

 

 

 一番国境に近いお店で、北朝鮮で現在使われている 100 ウォン紙幣をお土産で買っちゃいました。日本の紙幣よりちょっと大きめですが、財布にはおさまる大きさです。日本では約 8 円の価値ですが、北朝鮮の物価を考えるとどのくらいの価値になるんでしょう・・・。

 

 

 

 

 
   

 これらは旅行中に食べた韓国料理です。プルコギとカルビ、石焼ビビンバです。特に本場のキムチは激辛と聞いていたので構えながら食べてみましたが、意外とそうでもなかった気がします。それもそのはず、きっと日本でもキムチを含め、本場の韓国料理を食べてるんだろうなあと思います。でも、オーダーの方法は違いました。日本なら、サラダ、肉、ご飯、スープそれぞれ別料金ですが、韓国ではカルビを食べたいなら、例えばカルビ 200g だけを注文すると写真のようなコースが出てきます。なので、メニューは10品くらいしかないお店もありました。ちなみに石焼ビビンバは、こんな看板が・・・。ほんとですか?と聞きたくなりましたが、旅行者にとってはこのうたい文句に弱いんです。カルビ焼き(コース)は 1500 円くらい石焼ビビンバは 800 円くらいでした。

 

 

 

  韓国でよく使うステンレス系のお箸。重くて掴みづらいので私は木製の方が好きですが、森林伐採の観点からはこちらの方が良いのかもしれません。

 

 

 
    伝統茶院という風情のあるお店で、韓国で有名なお菓子にチャレンジしてみました。左はスジョンガという、水に砂糖と生麦、シナモンを加えて煮立てたものに干し柿を漬けたもの。韓国の伝統の茶は、茶葉を使わないものが多いようです。甘党の私にとっては好きな味ですが、お茶はさっぱりが良いという方にはどうかなと思いました。右は、ユグァという、柔らかな餅を使った揚げ菓子です。見た目は日本でもあるようなお菓子ですが、言葉では表現できないような個性的な味がします。

 

 

 
   韓国では3泊したのですが、結局全てモーテルという旅館みたいなところに泊まりました。逆にホテルは高く、ゲストハウスみたいな安宿もモーテルに比べたら 圧倒的に少ないので、貧乏な旅行者は宿を探していると必然的にモーテルにたどり着くと思います。韓国では寒さ対策からか、「オンドル」という床下に温水等 を流してその熱で部屋を暖める宿が多いようです。私が泊まった宿はベッドになっているので、そういう作りではなかった気がしますが、布団の下には暖める仕 掛けがちゃんとありました。値段も、25000W(=2083円)くらいとお手ごろだし、シャンプー、ボディーソープ、歯磨き粉などほとんど揃っているので、ゲストハウスよりは使い勝手が良いかもしれません。ただし、ホテルの人はあまりサービス精神がないので、その面はあきらめたほうが良いかもしれません。

 

 

 
    さすが、ネット普及率が高い韓国。駅に、デジタルステーションというインターネットをできるパソコンがありました。お店を探すときとかに便利だろうなあと思います。日本でも設置して欲しいです。

 

 

 
    今回の旅行は、安東、DMZが中心だったのでソウル観光は全く出来ませんでした。夜に買い物に行くくらいです。また次回、ソウルをゆっくり散策します。

 

 

 
    実はANAを使って海外旅行したのは初めて。機内食も楽しみの一つでした。行きと帰りの両方の機内食を撮ってみたのですが、なぜか紙箱タイプ(行き)と、通常タイプ(帰り)の2種類があり、なんとなく帰りのほうがゴージャスに見えるのは気のせいでしょうか。

 

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